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Satoru Kubota

Profile / プロフィール

STYLE COLORS  スタイルカラーズ代表 久保田 覚(くぼた さとる) 

STYLE COLORS JAPON スタイルカラーズジャポン本部代表

 

【略歴】


1957年 1224日 静岡県清水市生まれ(現:静岡市清水区)

1981年 3月 東京農業大学農学部農業工学科卒業

1988年 3月 学校法人川口学園 川口調理師専門学校卒業

1994年 3月 カズコーディネータースクールメイクアップアーチスト科卒業

2001年 4月 久保田色彩設計事務所設立 主宰

2008年 9月 株式会社スタイルカラーズ設立 代表取締役

2014年 8月 株式会社スタイルカラーズ解散・清算

2014年 9月 スタイルカラーズ事業主

2016年 現在に至る 

 

【所属】

日本色彩学会正会員、日本色彩学会東海支部評議員、日本色彩学会色覚研究会、日本色彩学会パーソナルカラー研究会、日本色彩学会ゲーテ研究会

 

【色彩研究に関わる恩師】

色彩生理・色覚の分野において研究された慈恵医科大学名誉教授 ()北原健二先生に師事

色彩心理を科学的な見地から研究された筑波大学名誉教授金子隆芳先生に師事

色彩造形デザインの研究に携わる東京芸術大学名誉教授小町谷朝生先生に師事

 

【色彩研究発表・パーソナルカラー調査研究発表実績】 

1) 2003.08 「肌の色と表現する色彩との関連性を探る」
/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第3回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)

2) 2004.05 「パーソナルカラー調和理論を取り入れた色彩教育の展開事例」
/日本色彩学会第35回全国大会発表(会場:名古屋大学)

3) 2004.08 「男性の視点から捉えたパーソナルカラー(副題:女性は美しく、男性は清潔に)」
/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第4回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)

4) 2005.05 「デジタル色彩学の基本」
/日本色彩学第36回全国大会発表(会場:東京電気通信大学)

5) 2005.08 「メンズパーソナル・スタイル&カラー」
/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第5回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)久保田覚、二宮恵理子

6) 2005.12 「静岡市における病院の色彩イメージ調査」
/日本色彩学会関西支部九州色彩ネットワーク研究会in熊本発表(会場:熊本市民文化会館)

7) 2005.12 「男ゴコロの色 女ごころの色」
/日本色彩学会東海支部名古屋大学講演(会場:名古屋大学)

8) 2006.05 「パーソナルカラー・タイプにおける性格分類とピラミッドカラーに見る関連性を
探る」/日本色彩学第37回全国大会発表(会場:京都工芸繊維大学)久保田覚、立石喜美子

9) 2006.08 「メンズパーソナル・スタイル&カラー~ターゲットは団塊世代~」
/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第6回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)久保田覚、二宮恵理子

10) 2006.08 「パーソナルカラー・タイプにおける性格分類とピラミッドカラーに見る関連性を
探るPARTⅡ」/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第5回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)
久保田覚、林由恵、竹内美香、岩崎優美子

11) 2006.12 「パーソナルカラー・タイプにおける性格分類とピラミッドカラーに見る関連性を
探る=PART+PARTⅡ」/日本色彩学会関西支部九州色彩ネットワーク研究会in福岡発表(会場:福岡工業大学)

12) 2007.05 「パーソナルカラー診断の曖昧になる要因の考察」/日本色彩学会第37回全国大会ポスター発表(会場:東京国立美術館)

13) 2007.08 「似合う色診断の研究調査は何のためか?~5年間を振り返って~」/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第7回研究発表(会場:東京目白デザイン専門学校)

14) 2008.08 「男性クライアントのタイプ分類とそのファッション提案についてかんがえる」/日本色彩学会パーソナルカラー研究会第8回研究会発表(会場:東京目白デザイン専門学校)

15) 2009.10 「景勝地における消波ブロックの景観色彩並びに経年変化によるブロックの色彩と強度について~土木工学的視点における考察~」/AFT認定講師ライセンス更新時の発表

 

【講師実績・現在担当校及び歴任校】

静岡・常葉学園大学造形学部美術デザイン科「色彩学」「色彩検定1級対策」「色彩検定2級対策」、東京・後藤学園武蔵野調理師専門学校ダブルプログラム科「色彩学」、鈴木学園中央調理製菓専門学校調理経営学科・製菓衛生師科「色彩学」「店舗ファサードの色彩」、鈴木学園調理製菓歯科衛生師専門学校調理経営学科「色彩学」「POPレタリング」、静岡理工科大学グループ沼津情報ビジネス専門学校医療事務科・こども医療保育科「色彩学」、東海大学海洋学部「色彩検定2級対策」、東京・華学園華調理師専門学校製菓科「色彩学」「店舗デザイン」、ヒューマンアカデミー静岡駅前校「色彩検定1級対策」「色彩検定2級対策」、ヒューマンアカデミー沼津校「カラーコーディネーター養成講座」「色彩検定1級対策」「色彩検定2級対策」、ヒューマンアカデミー浜松校「カラーコーディネーター養成講座」「色彩検定1級対策」「色彩検定2級対策」、静岡理工科大学グループ静岡産業技術専門学校webデザイン科「色彩学」、静岡理工科大学グループ静岡デザイン専門学校インテリアデザイン科「色彩学」「東商カラーコーディネーター検定試験対策」、他企業セミナー多数。

 

【ファッション及び関連業種でのカラー実績】  

☆スバル自動車『car topia』/コラボレーション「色彩で感じる季節の気配」スバル自動車×メンズファッショ『ビームス』×久保田覚

☆大阪うめだ阪急百貨店メンズ館/スタイルメイキングクラブ販売スタッフへのメンズカラー教育

 

ファッションの回想と展望】  

◇洋服と色への関心  

 高度経済成長を遂げていく1960年代、保育園~小学生時代。父は一所懸命働いてお金を稼ぐ人、母は父が稼いだお金をバンバン使う人でした。当時はオ―トクチュールからプレタポルテへ向かう時代。注文服から既製服への転換期で、松坂屋、田中屋伊勢丹デパートの既製服はガラスのショーケースに納められ、現在のように溢れんばかりの洋服は並んでいませんでした。大抵の女性ならセーターなどは自分で編んでいました。当時は、東京と地方ではファッションレベルの差は大きく、都会と田舎の言葉がずばり当てはまるそんな時代に、東京から慶應ボーイの旦那さんを持つドレスメーカー(洋裁のこと)を職とする女性が引っ越してきました。母はそのドレメの女性に沢山の服を作ってもらうようになります。その女性は、いつも大きめのサングラスをかけ、左ハンドルの黄色いアウディを運転して仕立てた洋服を届けにやってきました。外車を運転する女性など近所にいません。アウディの4リングスのマークを見たのはその時が初めて。実にカッコイイ。都会のセンスを感じました。仕立てられた洋服も斬新で、都会の若者の間で流行していたサイケデリックな色柄、地方では目にすることのないデザイン。明らかに友人達の母親が着る洋服とは違っていました。母に連れられ洋服生地を買いに行くのもしばしばのこと。自分の周りには、母が買い込んだ洋服生地やボタンがしこたま溢れ、春・夏、秋・冬の生地の手触り、色柄、種類を自然と覚えるようになっていきました。センスと一口に言ってもファッションセンスもありビジネスセンスもあります。取り分けファッションに関しては経済的に恵まれていないと磨かれ難いものです。裕福な家庭の子供は学校の勉強以外に、小さい頃から様々な習い事をして教養やセンスを身につけていきます。岩崎弥太郎のように貧しい境遇に育っても智恵と努力で三菱財閥の基礎を築くこともありますが、普通は勉強どころか毎日が食べられるかどうかという精一杯の環境にあります。一般的に言われる良いセンスを身につける為には、小さい頃から色々なモノを見て真似ることが近道であるように感じます。  

 

◇小さい頃に与えられるセンス 

 かつて日本に存在したリゾートホテルで過ごした夏。このホテルからは、お洒落に過ごすセンスを学びました。1965年、湘南に加山雄三、上原謙(加山雄三の父)、岩倉具憲(上原謙の最初の奥様・小桜葉子の親戚で岩倉具視の親戚にあたる)の共同経営による『パシフィックホテル茅ヶ崎』がオープン。茅ヶ崎駅からタクシーで一面の防風林の道を抜けると白亜の建物が現れました。 1967年の小学4年生から中学1年までの4年間、私は毎年夏休みの一週間をこのホテルで過ごしました。このホテルに行く前には、必ず横浜元町を訪れ洋服を買うのが恒例にもなっていました。今となっては幻のホテルですが、斬新な螺旋状の外観、インテリアデザイン、飛び込み台のある深いプール、洒落たプールサイド、大きなトランポリン、熱帯をイメージする大きな観葉植物が置かれた室内プール、室内プールを見下ろすレストラン「pink shell」など、まるで外国の映画に出てくるような作り。毎年ホテル側では、烏帽子岩が見える絶好のロケーションの同じ部屋を用意してくれていました。残念ながら、竣工からわずか5年、1970年に23億円もの負債を抱えてホテルは倒産。開業当時、週刊誌等でホテルは盛況だと書かれていた記憶がありますが、実際に宿泊している人は少なく、いつも大磯ロングビーチの方が沢山の人で賑わっていました。日本においての高級リゾートホテルの出現は早過ぎたのかも知れません。売却され経営者が変わると同時にホテルの品格が落ちていくのを子供心に感ました。ホテルで過ごした最後の夏は、夏の甲子園大会で神奈川県代表の東海大相模高校が優勝した年で、監督は現巨人軍監督の原辰徳監督の父・原貢氏でした。私も同じ東海大学付属の中学校野球部でしたので、東海大相模高校の活躍はとても嬉しく印象深かったです。ホテルの支配人ら従業員が釘付けでテレビ応援していたのが強く記憶に残っています。中学2年からは部活が忙しくなり避暑地で過ごすことは無くなりました。『夏をあきらめて』や『ホテルパシフィック』の曲を聞くとパシフィックホテル茅ヶ崎で過ごした贅沢な夏の記憶が蘇ります。

 

◇お洒落ごころの始まりとカラーコ―ディネーション  

 1960年代、メンズファッション界ではアイビールックが一世を風靡。石津謙介氏のVAN JAKCETを筆頭とするトラッドファッションとヨ―ロピンスタイルのJUNが二分していました。1967年、当時小学4年生。VAN JAKCETの子供服「VAN mini」が登場すると、自分で買う洋服を選ぶようになります。洋服選びの際、「シアサッカーの青紫に近いブルーに、青緑に近いバミューダショーツの青を合わせるのはどうもしっくりこないぁ…」と感じていました。この頃から、既に温かみのあるような色みとそうではない色みの存在に気づいていました。どちらかにまとめた方が心地良いと感じるようになった10歳の時。これがパーソナルカラーの理論であることを知ったのは27年後のことになります。小学生時代「VAN mini」、中学生時代「VAN boys」、高校生時代「VAN」「KENT」とVAN JAKCETが倒産する大学生の時代までトラッド一筋。雑誌『メンズクラブ』の巻頭には全国各地の「街のアイビーリーガース」の写真が掲載され、高校生の時に地元に取材に来た際には何とかして写してもらおうと友人と何度も取材している通りを行ったり来たり。でも結局、写真は写してもらえませんでした(笑)。多分、全国各地のアイビーかぶれの若者たちは皆同じことをしていたと思います。

 

◇トラッドファッションの栄枯盛衰 

 大学時代は親戚のVANショップでアルバイトをしていました。「帝人メンズショップ」、「マクベス」、など大人向けのショップや「COX」など世の中の男性ファッションはトラッド一辺倒の時代。「VAN」ブランドから大人のトラッドスタイル「KENT」ブランドを立ち上げたくろすとしゆき氏のブティック、港区六本木飯倉片町交差点にあった憧れの「CROSS&SIMON」にも足を運ぶようになりました。こじんまりした店ながら、白いドアにゴールドのドアノブ、高級感溢れる格調高い英国調。ドアを開けるとカランカランと洒落たベルが鳴ります。学生の身分には不釣り合いな空間で、いつも緊張感いっぱいでドアを開けたものです。店内の正面にはカウンターがあり、後ろには季節物の反物がきれいに積まれていました。右側の奥にはレディメイドのブレザーやジャケットが掛けられたクローゼットがあり、その横には長期の船旅で使われたアンティークなルイ・ヴィトンの大型トランクが置かれ、棚には英国で狩猟に使うデコイ(木製のおとり鴨)がさりげなく飾られていました。オリジナルの他に、ディッキィ(タートルネックセーターの首と肩の部分だけのニット)と呼ばれる日本ではお目にかかれない輸入ものアイテムなども揃えていました。洋服を仕立ててくれるのは山田さんという背の高い口髭を生やした紳士。仮縫いの時も緊張しました。シアサッカーのジャケット、ダクロン・ウーステッドのトラウザース、オ―センチックアイビーモデルのネイビーブレザー、フランネルのラウザースなどを仕立てて頂きました。アイビーとかトラッドを超えた大人のお洒落を感じさせてくれる店でした。トラディショナルには『質実剛健』という言葉がぴたりとあてはまります。お洒落というものは「頭のてっぺんから爪先まで」と頭に叩き込まれました。男性の服装は「~でなくてはならない」「ねばならない」という拘りの鉄則がありました。それは洋服だけに限らず、食・住までに及び、ライフスタイルを変える勢いがありました。それが、本物の男性ファッション哲学だと信じたものです。ファッションに興味ある団塊世代は、皆この洗礼を受けたといっても過言ではありません。60年~70年代の男性ファッションはトラディショナルに尽きるといってもよいでしょう。80年代に入るとファッションはヘビーデューティーな方向へ向かいます。VAN JAKCETはヘビアイ(ヘビーデューティー・アイビー)「SCINE」ブランド投入するも、経営が回復できず倒産。青山のVAN JAKCETビルはアメリカの老舗「Brooks Brothers」に代わりました。VANの終焉と共に日本における熱狂的なトラッドファッションはだんだんと影をひそめていきました。

 

◇メンズファッションの変革

 トラディショナルからヘビーデューティー・アイビーへ。当時渋谷にあったセレクトショップ「ミウラ&サンズ」(現SHIPSの前身の店)でレッドウィングの6インチアイリッシュセッターブーツを買いました。カジュアルファッションは、ボタンダウンシャツ+シェトランドウールのクル―ネックセーター+チノパンツ+クラークスのデザートブーツといういでたちから、シェラの60/40素材のダウンジャケット+リーバイス501+レッドウィングのブーツに衣替えしました。22歳の時です。

 

◇男性の洋服と女性ファッションの違いを感じた時

 文化服装学院に通う女の子の友達がいた。いつもブラウスにカーディガン、スカート、パンプスとおとなしいスタイルだったのが、ある日突然、黒い革のジャンプスーツにヒールの高いピンヒールでやってきた。勿論、髪型もメイクも違う。「え~っ!」目の前に現れた女の子が、まるで別人のようで驚いた。しばし頭が混乱したのを覚えている。男性の「ねばならない」的なこだわりトラッド哲学とは正反対で、女性の服は変幻自在で自由な発想に満ち溢れている。女性の服を「これこそがファッション!」だと痛切に感じた時だった。日本の高田賢三、三宅一生、山本寛斎がジャポニズムで世界のファッション界にその名を刻んだ頃である。

 

◇はじめてのファッションコンサルティング

 お洒落に自信が無い人でも、コンサルティングで大変身させることが出来ます。特に生まれながらにしてプロポーションの良い人は見違えるように変わるものです。大学生の時、友人の買い物に付き添ったのが最初のファッションコンサルティングでした。地方の田舎出身の彼は、ビートルズを気取ったおかっぱ頭に牛乳瓶の底のように厚いレンズのメガネをかけ、身頃がダブつくくらいに大きめのシャツにベルボトムまがいのパンツを穿いていました。小奇麗にしてはいましたが、どう見ても野暮!しかし、顔が小さく身長が高く、足が長くてスタイルがいい。渋谷PARCOが誕生した頃だったと思います。渋谷界隈のトラッドショップを回り、シャツ、セーター、チノパンツ、ジーンズ、デザートブーツ、靴下を選んであげ。ました。足が長いのでジーンズなら丈を詰めなくても大丈夫。メガネはコンタクトレンズに、おかっぱ頭はショート(クル―)カットに、選んだ洋服を着せると見違えるように垢ぬけました。以来、彼は女性にモテモテになったのは言うまでもありません。

 

◇子育て時代はお洒落を封印

 198224歳で結婚。お洒落するにはお金がかかります。しかし、子供を育てるのは綺麗事では済まされません。自分が楽をしたり着飾ったりすることは子供に影響します。ひたすら我慢!一所懸命に仕事に専念する姿を見せてこそ親だと思います。子育てと住宅ローンの返済で自分のお洒落は封印することに。夫婦共々に洋服は買わず、ひたすら、通販で子供のために洋服をコーディネートしました。たとえ安価なものでもコーディ―ネート次第ではそれなりに見せることが出来ます。通販カタログはコーディ―ネートの力を養う良いツールです。

 

◇色彩との関わり、お洒落ごころを解き放つ

 1993年、36歳。趣味としていた女性ポートレート撮影をきっかけに夜間メイクアップスクールに通うことに。スクールでは、パーソナルカラーの理論を取り入れたメイク方法に加えて、ファッションカラーコーディネート試験(現在の色彩検定)の基礎内容も含まれていました。そのスクールは残念ながら経営難で立ち行かなくなり僅か一年で閉鎖。最初で最後の修了生となりました(笑)。ファッションカラーコーディネート試験を受けるきっかけは、1級の実技試験に興味があり、その能力を試されるということにありました。どんな色柄・デザインの洋服をどう組み合わせるのかワクワクしていましたが、実際の試験はカードを切り貼りして指定の配色を作るというもので期待外れのものでした。それは兎も角として、1級、色彩講師ライセンスを取得。色彩の資格を生かし、本業と掛け持ちしながら大手の社会人を対象とした資格スクールで色彩講師として活動を開始。人前に立つ以上、見栄えも大事です。長年に渡り閉じ込めてきたお洒落ごころを解き放つ時がやってきました。色彩、カラーコディネートを教えながらお洒落が出来ることにこの上ない喜びを感じました。

 

◇ファッションセンス

 ただ色彩を教えるという仕事だけなら別にお洒落でなくても構わないと思います。企業で色の研究に携わる人、色彩学を教える講師、外見は特に飾らなくても問題はないでしょう。しかし、パーソナルカラリスト、イメージコンサルタントとしてお客様に対応する人は外見が大きなウェイトを占めており、ファッションセンスが問われます。外見が良い=中身が良いとは必ずしも言えませんが、人は外見でどんな人物なのかを判断する傾向にあります。女性はメイクで印象を変えることが出来ますが、男性はそうはいきません。いかに顔形、体型の弱点をカバーし、それなりに見せるかが勝負になります。「良いものを長く使う」ことが美徳とされた時代から、安くても良い服が登場すると、流行のデザインから外れた服を着ることはためらうようになります。服に合わせる靴のデザインもおのずと変わってきます。流行のサイクルがどんどん短くなり「旬」の要素を取り入れないとお洒落に見えません。海外からのファストファッション、「H&M」、「ZARA」、日本の「ユニクロ」、ビジネスファッションなら「スーツカンパニー」等々、安くてデザインの良い服がたくさん出回り、洋服選びがいっそう楽しい時代となりました。特に若い女性のファッションは華やかで、チープなものとブランド品を組み合わせるミックスコ―デなど、様々な要素を上手く取り入れるセンスが必要とされます。

 

◇お客様をご満足させるために

 弊社では、カラー関連商品の販売とカラースタイリスト(パーソナルカラリスト+イメージコンサルタント)を育てることを主とした事業を展開しています。1990年代初めにアメリカから化粧品を販売する手段としてパーソナルカラーが日本に入ってきましたが、本国アメリカではドレーピングによる似合う色診断はとうの昔に無くなり、イメージコンサルティングが主となっています。日本では、すたれることなく細く長くパーソナルカラー診断が行われています。しかしながら、色だけの提案でビジネスを展開するには難しいところ。絵に描いた餅は食べることが出来ません。デザイン、素材を抜きにしては、モノ選びは成立しないのです。果たして、色だけでお客様は本当に満足がいく化粧品や洋服選びが出来ているのだろうかと強く感じます。色も含めてお客様にご満足を頂ける洋服選びが出来きた時、カラースタイリストの仕事が完結するものだと考えています。

 

◇夢は中国の男性をお洒落にしたいこと

 中国に目を向けるのは経済成長が著しいからという理由だけではありません。祖父がその昔、満州国で仕事をしていたことが中国で仕事をしてみたい気持ちに駆り立てます。ソ連との戦争がなければ祖父は日本に戻らなかったかも知れないと思うと、中国という大陸がいかに性分に合っていたかを感じさせてくれます。祖父とは違った道ながら、中国に貢献したいと強く思っています。

 

 

 

Fashion business section

The woman is beautiful. !!  

人は誰もが「美しくありたい、きれいでありたい」と願っています。そんな願いのお手伝いをするのがカラースタイリストの仕事。自分の手でお客様を何倍にも輝かせる・・・そんな素敵なお仕事をあなたもしてみませんか? 

Contact us

●屋号/スタイルカラーズ

住所/〒424-0827 静岡県静岡市清水区上二丁目723

電話&FAX(054)352-0690

Email/info@stylecolor-japan.com/


☆弊社は、日本一高い山・富士山を望み、日本一深い海溝・駿河湾に面した日本の真ん中にあります。

 


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  「お墓を持たない」という選択

   ご遺骨供養~しぜんそう~


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